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第二次世界大戦後の闇市が始まり。人情味と会話から生まれる値引きが昔の情景を想起させる「上野アメ横商店街」

アメ横の入り口ゲートの様子(View at the entrance gate of Ameyoko)

1876年に日本初の公園として上野公園が開園し、国立西洋美術館や東京国立博物館などの文化施設が多く集まる文化芸術の発信拠点として発展してきた「上野」。いたるところに、そんな上野が歩んできた長い歴史を感じることができるスポットが存在しています。その中から今回は、観光や散策がてらふらっと立ち寄ることができ、雑多ななかにも人の温かさが感じられる雰囲気が魅力の商店街「上野アメ横商店街」を歴史と併せてご紹介します。

アメ横の街並み(Streetscape of Ameyoko)

“アメ横”と呼ばれ親しまれている、上野のシンボル「上野アメ横商店街」。JR上野駅から御徒町駅にかけて500m余にわたって伸びる商店街です。通りの両脇には、鮮魚や加工品、衣類や化粧品などを販売する商店や飲食店など、400以上にも及ぶ店舗がズラリ。多種多様なものがリーズナブルに手に入り、さらに美味しいグルメも目白押しと、心ときめく要素がたくさん。活気ある声が飛び交い、日々多くの地元の人々や観光客で賑わっています。

第二次世界大戦後に東京は荒れ果て、人々の移動や物流の拠点であったJR上野駅を中心にアメ横の原形である闇市が誕生。多くの屋台や露天商が集まっていたことから、貧しい生活を強いられていた民衆は食糧や衣類を求めてこの闇市に足を運んだそう。砂糖が統制され貴重品だった時代のなかで、特に人気を集めていた商品が”飴”。サツマイモを原料とした芋飴や、上海から人工甘味料を使用した飴を仕入れて販売する店舗が次々と現れ“飴屋横丁”と呼ばれるようになり、”アメ横”と呼ばれるようになったとか。一方で、1950年頃からレイバンのサングラスやZIPPOライター、ハーシーズのチョコレートといったアメリカ製の商品が人気となり、それらを扱う店舗も多く出現したことから“アメリカ横丁”に由来しているという説もあります。そして、1955年頃から海産物や農産物が入るようになり、ありとあらゆる商品が店頭に並ぶ現在のような形態に進化してきました。

歴史を知った上でアメ横を歩いてみると、新たな発見があるはず。写真映えする景色はもちろん、会話から生まれる値引きやおまけも昔の情景を想起させてくれますよ。

営業時間※各店舗によって異なるため、公式ホームページにてご確認ください。
住所東京都台東区上野4〜6丁目
アクセス東京メトロ銀座線上野駅より徒歩5分
ホテルグレイスリー浅草:浅草駅から銀座線で3駅
ホテルタビノス浅草:田原町駅から銀座線で2駅
URLhttp://www.ameyoko.net

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